毎日ママは精一杯!ママが感じた「あたしおかあさんだから」が炎上したわけ
2018年2月28日 | よみもの毎日ママは精一杯!ママが感じた「あたしおかあさんだから」が炎上したわけ

こんにちは。
ママライターのマエジマシホです。
先日ネットやテレビのニュースで、絵本作家のぶみさんが作詞した「あたしおかあさんだから」という歌が話題になりましたね。
筆者も歌詞を読みましたが、ネガティブなショックを受けました。
この歌詞は多くのママたちから批判や非難を浴びる結果となったことは、ご存じの方も多いとおもいます。
今回は、「あたしおかあさんだから」が炎上した理由について、母親の立場から考察していきます。
文中に「母親」と「ママ」という表記が出てきますが、「母親」とはイメージや一般論での「母親」であり、「ママ」とは現実における「母親」という意味で書いています。
同様に「おかあさん」とはのぶみさんの歌詞での「おかあさん」を指しています。

「おかあさん」に求められることと、「おかあさん」が望むこと
のぶみさんの歌詞は「あたしおかあさんだから」と、母親になる前には自由にできていたことを、我慢している様子が書かれています。
のぶみさんはこの歌詞を作るとき、多くの母親に聞き取りをしたそうです。
そして、「あたしおかあさんだから」はうまれました。
筆者も、息子を4歳まで育ててきた母親のはしくれではありますが、まったくこの歌詞には共感できませんでした。
現実とあまりにもかけ離れていると感じたからです。
確かに、「おかあさん」が担う役割を羅列してあります。
ただ、現実としてすべての「おかあさん」がそれらを、嬉々として受け入れて行っているわけではないことも筆者は知っているつもりです。
「おかあさん」ではない多くの人に理解してほしいのは、『「おかあさん」が歌詞のような現状を良しとしているわけではない』ということです。
「おかあさん」は「おかあさん」に求められる役割を理解しています。
理解はしていますが、第三者から、それをお仕着せられることは決して望んでいないとおもうのです。
気持ちの分からない人が変な解釈をしてしまったこと、それが失敗の理由
のぶみさんの歌詞が炎上した理由は、ひとつにはマーケティングを失敗した、ということにあります。
歌という商品を売ろうとするとき、支持してくれるであろう人たちにリサーチしたところまでは、間違っていません。
しかし、それを男性であり、シングルファーザーでもない立場の人が、曲解して商品を作ってしまった点が、失敗となってしまった原因ではないでしょうか。
のぶみさんと同じく言葉を紡ぐ職業であり、より密接に子どもと関わっているであろうシングルファーザーである辻仁成さんの言葉には、子育てに関わる立場ならではの重みが、端々に感じられます。
が、「あたし おかあさんだから」には第三者があるべきと考える「母親像」や、想像でしかない女性の現実しかありません。
かっこいい車のデザインを考えてみたけれど、実際には走らなかった、というわけですね。
「良い母親像」はママ自身が理解していればよい
母親になると、「良い母親でなければ」と、ただでさえ自分で自分を縛ってしまうことがあります。
自分の子どもの成長が、周囲の同じ月齢の子どもより遅いと、まるで自分の責任のように考えてしまうママもいるかもしれません。
しかし、子どもにとって母親はたったひとりだけです。
「良い母親像」を追い求めていると、一番大切であるはずの子どもの姿を見失ったりしないでしょうか。
『世間の「良い母親像」の型にはまったママが、世界にひとりしかいない自分の子どもにとっても良い母親である』という保証はどこにもありません。
「良い母親像」はママ自身が作り上げるものであり、ママ自身が理解していればいいと考えています。
ママも子どもも、それぞれ世界にたった一人の人間同士です。
他のママたちの子育てが参考になることはあるでしょうが、そっくりそのまま真似することはできませんよね。
結局、ネガティブ方向で歌詞が話題になってしまったことで、企画自体はお蔵入りとなってしまうようです。
でも、この歌詞をきっかけとしてポジティブに受け止められることもありました。
それは、SNSなどですぐ「#あたしおかあさんだけど」というタグが発生し、世の中のママたちが一斉にお仕着せの「母親像」に対して拒否する姿勢を示したことです。
ママたちは日々、自分ができる精いっぱいの子育てをしています。
事情を知らない第三者から批判される理由などないのですから。
ママたち、今日も、お疲れ様です!