十年後の社会が心配!? 若者たちに蔓延する“スマホ病”の実態と弊害
2016年12月27日 | よみもの十年後の社会が心配!? 若者たちに蔓延する“スマホ病”の実態と弊害

こんにちは。エッセイストでソーシャルヘルス・コラムニストの鈴木かつよしです。
附属病院併設の医療系大学で事務職員として仕事をしていた筆者は今でも現役で医師をしている友人を数多くもっていますが、ここ数年、彼(彼女)らが自分の専門の診療科目を超えて危惧している共通の心配事があります。
筆者と会ったときにも必ずと言っていいほど話題に上るその心配事。
それは、「子どもたちのスマホ依存はもはや一定のレベルを超えた“スマホ病”ともいうべき段階に入っており、スマホ病の子どもたちが大人になった十年後の社会がとても心配だ」ということです。
医師たちがいう“スマホ病”とはどのようなものなのでしょうか。
その病を患った子どもたちが大人になった十年後の社会はどうなるのでしょうか。一緒に考えてみることにいたしましょう。
すでに若者の多くはスマホなしには人間関係の“間”がもてなくなっている
まずご紹介したいのは、精神科医の立場から子どもたちの“スマホ病”を危惧している、都内でメンタルクリニックを開院するA先生のお話です。A先生は言います。
『お気づきかもわかりませんが、すでに高校生・大学生の多くはスマホなしには人間関係の“間”がもてなくなってしまっています。
通学の電車の中でも友人たちとの昼食中でも、スマホを奪われたらそれこそずっと居眠りをしていなければならないほど現実の人間たちと向き合えないような子が大多数になっています。
これでは少子化にますます拍車がかかるのも当然ですし、スマホという隠れ家を手に入れて面倒な人間関係にかかわらなくてもよくなったわが国の子どもたちが海外の同世代人たちと外交交渉をしなければならなくなったときにどうなって行くのか。とても心配ではあります』(50代女性/都内メンタルクリニック院長、精神科医)
世の中がLINEによる“村八分”にビクビクする人間の集団に
次に取り上げたいのは、これはもう中学生・高校生の子どもをもつ親御さんであればみなさん気にはなっている問題だろうとは思いますが、優れたメール機能を有するスマホアプリの代表格『LINE』における“村八分(むらはちぶ)”の問題です。
村八分とは、昔の日本の農村部で村の決まりに背いた人が出たときに村人全部が申し合わせてその人やその家族と絶交することで、火事と葬式以外の件は一切の交流を断つというわが国特有の陰湿ないじめの一類型です。
これについては、前述のA先生からその話題が出るずっと以前より筆者自身がとても憂慮していたことでもありました。
そもそも、相手から勝手に送られてきたメールを読もうが読むまいが、そんなことは個人の自由であるはずです。
ところが、LINEという超近代的なスマホアプリによって見事に復活した前近代のいじめ形態は、今やわが国の中学生・高校生の日常生活を四六時中監視し、支配しています。
A先生によれば、『中高生以上の子どもたちの間では、村八分にされることが怖くて年がら年中スマホ(LINE)をチェックしていなければならないという文化は既に定着してしまっている』ということになり、「他人がなんと言おうと自分は自分の道を行くぞ」といった近代的な自我や自尊心のような意識が破壊されつつあることに警鐘を鳴らしているのです。
精神科領域だけではない“スマホ病”の弊害
いかがでしょうか。
今回は主に精神科医の立場から気にかかる子どもたちの“スマホ病”について考えました。
医師をしている筆者の友人でも整形外科が専門の人はいわゆる“ストレートネック”による目まいや頭痛、手足のしびれといったスマホによる健康被害を気にかけています。
都内で眼科クリニックを開院している医師のM氏は、『今、驚くべき速さで若い人の“老眼”が増加している。これは、10代半ばのころから毎日毎日長時間にわたってスマホを使用しつづけてきたことと無関係ではないように思う』(40代男性/都内眼科クリニック院長、眼科医)と述べ、患者とその保護者の人たちに注意を呼びかけているとのことでした。
社会の将来を担うのは言うまでもなく、子どもたちです。
わたしたち大人は医師たちがこれほど心配している子どもたちの“スマホ病”というものに関して、もう少し真剣に考えて、対処して行く必要があるのではないでしょうか。
●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)
●モデル/大上留依(莉瑚ちゃん)