幼児期から英才教育をして、子どもを東大に入れるには?
2013年4月29日 | よみもの幼児期から英才教育をして、子どもを東大に入れるには?

【ママからのご相談】
子どもは3歳です。3歳のうちから、英会話とかリトミックの教室に入れています。公文もやらせています。どうにか子どもには英才教育をほどこして東大に行かせたいのですが、ほかにどんなことをやらせるといいのでしょうか?
わからないことがわかる喜びを子どもが知ればいいのです。
こんにちは。ミクノです。
教育ママさんからのご質問ですね。
東大生の親にアンケート調査をして出てくる、調査結果はご覧になったことがありますか? 毎年大手の学習塾がアンケート調査をし、毎年ほぼ同じような結果が公開されます。
おおむね、
・親の年収が高い
・親が読書や手芸などの趣味を持っている
というようなご両親を持っているお子さんが、東大に入っているみたいです。
が、親の頭のデキの善し悪しも当然ありますよね。こればかりは、どうすることもできないかもしれません。

学ぶ楽しさを植え付ける
いろんな塾や教室に行かせると、子どもがそのうち習い事を嫌がるようになることもありますよね。そうなってしまえば、親としての夢が遠のくので、親は子どもが嫌がらないように仕向けないといけません。
ポイントは、子どもが学ぶ楽しさを知るということだと思います。オトナでもおなじですが、できなかったことができるようになったときの喜びとか、知らなかったことを知ったときに喜びとか、そういう快感ってありますよね。
子どもがわからかったことがわかる喜びをみずから知ると、親はなにもぎゃあぎゃあ言って塾に行かせる必要もないのではないかと思います。
学習の原点とは?
ぼくは教育の専門家ではないので、上に書いたことがどこまで教育論として正しいことなのか、わかりません。しかしオトナになっても学び続けないといけない職業についているので(物書きのとはそういう商売です)、なにがあれば人は楽しく、生涯を通して学び続けることができるのかは、日々考えます。
これについては論語にあるとおりでしょう。
論語には、「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という一節があります。
朝に人としての大切な道を聞いて悟ることができれば、その晩に死んでも心残りはないという意味です。
つまり、ちょっと学んだことで、瞬間にして人生観が変わってしまう、学ぶことの本質とは、それくらい「大きな刺激を得る」ことだということです。学ぶって知識を詰め込むだけでなく、人生観が変わるくらいの刺激を「体感」をするということですよね。
学ぶ楽しさを子どもが「体感」すれば、それでOKであり、それは親みずからが、「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という姿勢で生きるよりほかはないように思います。
ということでお答えになっていますでしょうか?
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●ライター/ミクノトモ(作家・コラムニスト)