キレイごとなの? 「認知症は神様がくれた病気」という説は本当か

こんにちは。エッセイストでソーシャルヘルス・コラムニストの鈴木かつよしです。

千葉県市川市で『仁和医院』という診療所を開業する医師の竹川敦先生は、専門は心療内科・精神科ですが、小児科や在宅プライマリーケアなど専門にとらわれない包括的な地域医療をモットーにされているお医者さまです。

竹川先生はそのホームページの中で、『老いと向き合うことは人間にとって相当のストレス。認知症は自分が老いて行く姿と向き合えなくなることによってストレスから解放され、最終的には多幸症といういつも幸せを感じる状態を手に入れて最期を迎える、“神様がくれた病気”なのだ』という趣旨のことを述べておられます。

実の父親を認知症でなくしている筆者は、この竹川先生の説について「よく分かる」面と、「実際に介護をする家族にとって、認知症はそんなきれいごとではない」という気持ちが混在し、複雑な思いがあります。

認知症は神様がくれた病気なのか、一緒に考えてみましょう。

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認知症は“死に至る病気”です

ご家族に認知症患者の方がいらっしゃらない人にとっては、「認知症って、直接の死因となるような病気ってわけじゃないでしょう」という感覚がおありかもしれません。

しかし、そうではないのです。仁和医院のホームページにもあるように、アルツハイマー型の認知症は脳の神経細胞の脱落や脱髄などから脳が委縮する進行性の病気です。

始まりは単なる物忘れでも、次第に目的地に行けないなどの高次機能障害をきたすようになり、さらに進むと妄想や人格変化などの周辺症状を呈し、やがては歩行不能となります。

そして、最後は食べない・しゃべらない・動かないの『失外套(しつがいとう)症候群』という大脳皮質の機能が完全に失われた状態となって死に至る、とても残酷な病気なのです。

発症してからの余命は医師によって諸説ありますが、数年から15年程度と言われています。

筆者の父親は認知症の進行スピードがとても速く、発症年齢が高かったせいもありますが、診断が確定した半年後には失外套症候群の状態に陥り、この世を去りました。

介護する家族にとっての正念場は周辺症状が現れるようになってから

認知症の患者さんを介護する家族にとっての正念場は、周辺症状が現れるようになってからです。

筆者の父親もそうでしたが、この世で一番患者さんのことを心配し献身的に介護してくれるパートナーに対して嫉妬・妄想を抱く傾向があり、人によって程度の違いはありますが、暴力行為に発展することもしばしばです。

そうなるとやがて着替えの仕方もお風呂の使い方も、トイレで用を足す方法もわからなくなりますので、施設に入らない限り介護する家族に平穏な時間はありません。

家族が「神様がくれた病気」と思えるのは認知症の末期。それも後からのこと……

妄想や徘徊をきたした父を介護する中で、筆者がそれでも「認知症は神様がくれた病気なのかもしれない」と思ったことが一度だけありました。

父がなくなる前々日の夜、すでに食べることもしゃべることも動くこともできなくなっていた父の布団を直してやると、しゃべれないはずの父が振り絞るような声で確かに「ありがとう」と言ったのです。

後から思えばですが、筆者はあのとき神様が乗り移った父がくれた最後の言葉を受け取って、幸せを感じていたと思います。

父がその翌日には意識を完全に失って翌々日の未明には帰らぬ人となったことを思うと、認知症患者さんを介護する家族が「認知症は神様がくれた病気なんだなあ」と素直に感じることができるのは、認知症のほんとうの末期になってからのことであって、それも後からそう思えるのではないか。

今ではそんなふうに振り返れるようになりました。

【参考リンク】
仁和医院ホームページ

●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)

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